題:カエルの王さま(または鉄のハインリッヒ)
作者:グリムGrimm
訳者:矢崎源九郎
むかしむかし、まだどんな人ののぞみでも、思いどおりにかなったころのことです。
あるところに、ひとりの王さまが住んでいました。この王さまには、お姫さまがいく人もありましたが、みんなそろって、美しいかたばかりでした。なかでもいちばん下のお姫さまは、それはそれは美しいので、世のなかのいろんなことをたくさん見て知っているお日さまでさえも、お姫さまの顔をてらすたびに、びっくりしてしまうほどでした。
王さまのお城の近くに、こんもりとしげった森がありました。森のなかには古いボダイジュが一本立っていて、その木の下から泉がこんこんとわきでていました。
暑い日には、お姫さまは森のなかにはいっていって、このすずしい泉のほとりにこしをおろしました。そして、たいくつになりますと、金のまりをとりだして、それを高くほうりあげては、手でうけとめてあそびました。これがお姫さまにとっては、なによりもたのしいあそびだったのです。
ある日、お姫さまが、いつものように金のまりをなげあげて、あそんでいるうちに、ついうけそこなってしまいました。まりは地面におちると、そのまま水のなかへころころところがりこみました。
お姫さまはまりのゆくえをながめていましたが、まりは水のなかにしずんで、見えなくなってしまいました。泉はとてもとてもふかくて、底はすこしも見えません。
それで、お姫さまはしくしく泣きだしましたが、その泣き声はだんだん大きくなりました。お姫さまとしては、あのまりを、どうしてもあきらめることができないのです。こうして、お姫さまが、泣きかなしんでいますと、だれかお姫さまによびかけるものがありました。
「どうなさったんですか、お姫さま。お姫さまがそんなにお泣きになると、石までも、おかわいそうだと泣きますよ。」
お姫さまはびっくりして、声のするほうを見まわしました。すると、そこには、一ぴきのカエルが、きみのわるい、ふくれた頭を水のなかからつきだしています。
「あら、おまえさんだったのね、年よりのカエルさん、いまなにかいったのは。」
と、お姫さまがいいました。
「あたしはね、金のまりが泉のなかにおちてしまったんで、泣いているのよ。」
「心配しないで、泣くのはもうおよしなさい。わたしがいいようにしてあげますからね。でも、あなたのまりをひろってきてあげたら、わたしになにをくださいますか。」
と、カエルはいいました。
「大すきなカエルさん、おまえさんのほしいものは、なんでもあげるわ。」
と、お姫さまはいいました。
「あたしの着物だって、真珠だって、宝石だって。それから、あたしのかぶっている金のかんむりだって、あげてよ。」
すると、カエルはこたえました。
「着物も、真珠も、宝石も、金のかんむりも、そんなものは、なんにもほしくはありません。そのかわり、もしあなたがわたしをかわいがってくださろうというのなら、わたしをあなたのお友だちにしてください。そうして、あなたの食卓にならんですわらせてくださって、あなたの金のおさらで食べ、あなたのかわいいさかずきでのませてください。それから夜になったらば、あなたのちっちゃなベッドにねかせてください。もしこれだけのことを約束してくださるなら、水のなかにもぐっていって、金のまりをとってきてあげましょう。」
「ええ、ええ、いいわ。」
と、お姫さまはいいました。
「金のまりをとってきてくれさえすれば、おまえのおのぞみのことは、なんでも約束してあげるわ。」
でも、心のなかでは、
(おばかさんのカエルね。カエルなんか、水のなかのなかまのそばで、ギャア、ギャア、ないていればいいのよ。人間のお友だちになろうなんて、とんでもないわ。)
と、思っていたのでした。
カエルは、お姫さまから約束してもらいますと、頭をひっこめて、水のなかにもぐっていきました。それから、しばらくすると、またうかびあがってきました。見れば、たしかに、金のまりを口にくわえています。カエルは、そのまりを草のなかにぽんとほうりだしました。
お姫さまは、じぶんの美しいまりがもどってきたのを見ますと、うれしくってうれしくって、それをひろいあげるなり、そのまま、とんでいってしまいました。
「待ってください、待ってください。」
と、カエルは大声でさけびました。
「わたしもいっしょにつれてってください。わたしは、そんなにはしれないんです。」
けれども、カエルがうしろのほうから、いくら大きな声で、ギャア、ギャア、ないても、わめいても、なんにもなりませんでした。お姫さまはカエルがさけぶ声には耳もかさず、いそいでお城へかけていきました。そして、かわいそうなカエルのことなんか、すぐにわすれてしまいました。ですから、カエルのほうは、もとの泉のなかに、すごすごとかえっていくよりほかはありませんでした。
そのあくる日のことでした。お姫さまが、王さまをはじめ、ご家来の人たちといっしょに、みんなで食卓について、金のおさらでごちそうを食べていますと、なにやら、ピチャ、ピチャ、ピチャ、ピチャ、と、大理石の階段をはいあがってくる音がしました。そして、上まであがりきりますと、トントンと戸をたたいて、
「お姫さま、いちばん下のお姫さま、どうかこの戸をあけてください。」
と、大きな声でいいました。
そこで、お姫さまはかけていって、だれがきたのかしら、と思いながら、戸をあけました。と、おどろいたことに、戸のそとには、きのうのカエルがすわっているではありませんか。それを見るなり、お姫さまはバタンと戸をしめて、いそいで食卓の席にもどりました。でも、胸のなかは心配で心配でたまりません。王さまは、お姫さまの胸のどきどきしているのを見て、
「姫や。なにがこわいんだね。戸のそとに大入道でもきて、おまえをさらっていこうとでもしているのかい。」
と、たずねました。
「あら、ちがうわ。」
と、お姫さまはこたえました。
「大入道なんかじゃないの。いやらしいカエルなのよ。」
「そのカエルが、おまえになんの用があるんだね。」
「それはね、おとうさま、きのう、あたしが森のなかの泉のそばにすわって、あそんでいたら、金のまりが水のなかにおちてしまったの。それで、あたしが泣いていると、カエルがでてきて、まりをとってきてくれたの。そのとき、カエルがあんまりたのむものだから、じゃあ、お友だちにしてあげるわって、約束しちゃったのよ。だって、まさかカエルが、水のなかからでてこようとは思わなかったんですもの。それがね、いま、あのとおりやってきて、なかへいれてくれっていってるのよ。」
そのとき、また戸をたたく音がして、大きな声がしました。いちばん下のお姫さま
どうかあけてくださいな
すずしい泉のかたわらで
きのう 約束したことを
あなたはわすれちゃいないでしょう
いちばん下のお姫さま
どうかあけてくださいなそれをききますと、王さまはいいました。
「いちど約束したことは、かならずまもらなければいけないよ。さあ、はやくいって、あけておやり。」
お姫さまは立っていって、戸をあけてやりました。とたんに、カエルはピョンととびこんできて、それからずっとお姫さまの足もとにくっついて、いすのところまできました。カエルはそこにすわりこんで、
「わたしもそのいすの上にあげてください。」
と、いいました。
ところが、お姫さまは、ぐずぐずしていたものですから、とうとう王さまから、そうしておやり、といわれてしまいました。カエルはいすの上にのせてもらいますと、こんどは、食卓の上にのせてくれ、といいだしました。そうして、食卓の上にのせてもらいますと、
「その食卓のおさらのものを、ふたりでいっしょに食べられるように、もっとこっちへよこしてください。」
と、いいました。
お姫さまはそのとおりにしてやりましたが、いやでいやでたまらないようすです。カエルはいかにもおいしそうに食べていましたが、お姫さまのほうは、ひと口ごとに、のどにつかえるような思いでした。カエルは食べるだけ食べてしまいますと、
「ああ、おなかがいっぱいになって、くたびれてしまいました。さあ、わたしをあなたのおへやへつれていってください。そうして、ふたりでねられるように、あなたのかわいらしい絹のベッドをきちんとなおしてください。」
と、いいました。
とうとうお姫さまは泣きだしてしまいました。むりもありません。さわるのさえきみのわるい、つめたいカエルが、こんどは、じぶんのきれいなベッドのなかにねたいなんていうんですもの。お姫さまはすっかりこわくなってしまったのです。けれども、王さまはおこって、こういいました。
「こまっているときに、たすけてくれたものを、あとになって知らん顔するのは、いけないよ。」
そこで、お姫さまは、しかたなしに、カエルを二本の指でつまんで、二階のおへやにつれていって、すみっこにおきました。そうして、お姫さまがベッドのなかに横になりますと、またもやカエルがはいだしてきて、
「ああ、くたびれました。わたしも、あなたのように、らくにねたいですよ。さあ、わたしをそこにあげてください。もし、そうしてくださらないと、おとうさまにいいつけますよ。」
と、いいました。
それをきくと、お姫さまはほんとうにおこってしまいました。そして、いきなりカエルをつかみあげると、ありったけの力をこめて、壁にたたきつけました。
「これで、らくにねむれるわよ。ほんとに、いやらしいカエルだこと。」
ところが、どうでしょう。カエルが下におちたときには、もうカエルではなくなって、美しい、やさしい目をした王子にかわっていました。
王子は、お姫さまのおとうさまのはからいで、お姫さまのなかよしになり、おむこさまになりました。
そこで、王子は、じぶんの身の上話をしました。その話によりますと、王子は、あるわるい魔女のために、魔法をかけられていたのですが、それをあの泉からすくいだしてくれたのはお姫さまだけだったということでした。そして王子は、
「あしたは、ふたりでぼくの国へいきましょう。」
と、いいました。
その晩は、ふたりともゆっくりやすみました。
あくる朝、お日さまがふたりをおこすころ、八頭だての白い馬にひかれた、一台の馬車がやってきました。どの馬も、頭に白いダチョウの羽をつけて、金のくさりでつながれていました。そして馬車のうしろには、わかい王さまの家来が立っていました。それは忠義者のハインリッヒでした。
この忠義者のハインリッヒは、ご主人がカエルにされたとき、それはそれはかなしみました。そしてそのかなしみのあまり、じぶんの胸がはれつしてしまわないようにと、鉄の輪を三本、胸にはめたのでした。
ところで、この馬車は、わかい王さまを国へおつれする、おむかえの車だったのです。忠義者のハインリッヒは、おふたりを馬車にのせてから、じぶんはまたうしろにのりました。そして、ご主人のたすかったことを、心のそこからよろこんでいました。
馬車がしばらく走っていきますと、わかい王さまのうしろのほうで、なにかパチンとわれるような音がしました。そこで、わかい王さまがうしろをふりかえって、大声にいいました。ハインリッヒ 馬車がこわれるぞ――
いえ いえ お殿さま
馬車ではございません
あれはせっしゃの胸輪です
殿さまがカエルになったとき
泉にしずんでいかれたとき
かなしみなげいて
はめた せっしゃの胸輪ですけれども、もういちど、またもういちど、パチンという音がしました。そのたびに、わかい王さまは、馬車がこわれるのではないかと思いました。でもそれは、やっぱり、忠義者のハインリッヒの胸からとびちる胸輪の音でした。それというのも、だいじなご主人がたすかって、これからしあわせなまい日をおくられることになったからですよ。
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